今日の名言【4】「好き」と「愛する」の違い

心に響いた言葉たち

最近、「好き」と「愛する」って、どう違うんだろう?と考える機会がありました。

そのきっかけになったのは、ふと目にしたお釈迦様の言葉です。

花が好きだと言う人は、ただ花を摘むでしょう。
でも、花を愛している人は、毎日その花を世話し、毎日水をやるのです。
 

この言葉を読んだとき、胸の奥にすっと染み込むような感覚がありました。

そして同時に、ある日常の風景が頭に浮かんできました。

それは、次男がお花の種を植えた日のことです。

彼は、小さな手で土を掘り、お花の種をひとつずつ大切そうにまいていきました。

「きれいなお花が咲きますように」と目を輝かせながら。

その日から、彼の日課がひとつ増えました。

毎朝、起きたらまずお花の様子を見に行きます。

「おはよう、芽は出たかな?」と優しく声をかけながら、

小さなじょうろでそっと水をあげるのです。

芽が出たときは、それはもう大喜びで、

「お母さん!見て見て!出てきたよ!」と満面の笑みを見せてくれました。

それからも毎日欠かさず、雨の日も風の日も、水やりと声かけを続けています。

「大きくなってね」「きれいなお花を咲かせてね」

その姿は、まさに“愛する”という行動そのものでした。

「好き」という気持ちは、心がときめいたり、嬉しくなったり、

どこか自分のために湧き上がるもの。

でも「愛する」というのは、相手のために手間を惜しまず、

育てていこう、守っていこう、関わっていこうという気持ちの継続なんですね。

次男が毎日水をやり、言葉をかけている姿を見ていると、

その違いがとても自然に腑に落ちました。

ふと思いました。

私は、家族や身近な人たち、大切に思うことに対して、

ちゃんと“水”をあげられているだろうか。

忙しさにかまけて、摘むだけで終わっていないだろうか…。

お釈迦様の言葉と、次男の姿が重なって、

自分自身の関わり方を静かに見つめ直す時間となりました。

愛するというのは、続けること。

そして、育てること。

小さな芽がぐんぐんと成長していくように、

人との関係や、心のつながりも、日々の“水やり”で変わっていくのかもしれません。

今日も、私の大切な人たちに、ちゃんと水をあげていこう。

そんな気持ちで、また一日を始めたいと思います。

 

あなたが「愛している」と思う人やことは、どんな存在ですか?

そして、今日その人やそのことに、どんな“水”をあげられるでしょうか。

 

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