最近、「好き」と「愛する」って、どう違うんだろう?と考える機会がありました。
そのきっかけになったのは、ふと目にしたお釈迦様の言葉です。
この言葉を読んだとき、胸の奥にすっと染み込むような感覚がありました。
そして同時に、ある日常の風景が頭に浮かんできました。
それは、次男がお花の種を植えた日のことです。
彼は、小さな手で土を掘り、お花の種をひとつずつ大切そうにまいていきました。
「きれいなお花が咲きますように」と目を輝かせながら。
その日から、彼の日課がひとつ増えました。
毎朝、起きたらまずお花の様子を見に行きます。
「おはよう、芽は出たかな?」と優しく声をかけながら、
小さなじょうろでそっと水をあげるのです。
芽が出たときは、それはもう大喜びで、
「お母さん!見て見て!出てきたよ!」と満面の笑みを見せてくれました。
それからも毎日欠かさず、雨の日も風の日も、水やりと声かけを続けています。
「大きくなってね」「きれいなお花を咲かせてね」
その姿は、まさに“愛する”という行動そのものでした。
「好き」という気持ちは、心がときめいたり、嬉しくなったり、
どこか自分のために湧き上がるもの。
でも「愛する」というのは、相手のために手間を惜しまず、
育てていこう、守っていこう、関わっていこうという気持ちの継続なんですね。
次男が毎日水をやり、言葉をかけている姿を見ていると、
その違いがとても自然に腑に落ちました。
ふと思いました。
私は、家族や身近な人たち、大切に思うことに対して、
ちゃんと“水”をあげられているだろうか。
忙しさにかまけて、摘むだけで終わっていないだろうか…。
お釈迦様の言葉と、次男の姿が重なって、
自分自身の関わり方を静かに見つめ直す時間となりました。
愛するというのは、続けること。
そして、育てること。
小さな芽がぐんぐんと成長していくように、
人との関係や、心のつながりも、日々の“水やり”で変わっていくのかもしれません。
今日も、私の大切な人たちに、ちゃんと水をあげていこう。
そんな気持ちで、また一日を始めたいと思います。
あなたが「愛している」と思う人やことは、どんな存在ですか?
そして、今日その人やそのことに、どんな“水”をあげられるでしょうか。